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       宇和島特産品 『 次郎柿( じろうがき )     柿処 宇和島市柿原(かき わら)産!

 

                                    偉人伝 柿原物語

  漢 名 :      柿

  英 名 :  Japanese  Persimon 

  学 名 :  Diospyros Kaki Linn

 

プロローグ

  柿は、日本古来の果実で、学名にもカキとあり、自然分布は、東洋に限られています。

 明治末に、全国で3000種以上の品種が確認されており、愛媛県では、甘柿3種、渋柿33種

 (中に「愛宕」)が挙げられている。 しかし、経済栽培に適している品種はわずか。

 

    富有(ふゆう)柿 : 岐阜県本巣郡の原産。 明治35年カキ品種の収集調査中に、

                 恩田博士によって見いだされ、命名紹介されて、その後広く栽培

                 され、現在、甘柿の王座をしめています。

    次郎(じろう)柿  :  静岡県周智郡森町 の原産。 治朗とも書かれ、弘化年間19世紀

                 の中頃、 森町 の松本治朗吉さんが幼木をみつけ植えたのが最初。

                 肉質は蜜で、味は良好。

 

本  章

  山口 惣一は、明治13327日、山口小太郎・ヌイの3男としてカキ原に生まれる。

 カキ原は、かって牡蠣原と呼ばれ、水田に乏しく、貧しい海岸の一寒村であった。 明治から

 大正にかけて、農村にも商品作物による経済力向上への関心が高まりつつあった。

  

  「何か商品性の高い作物はないか ?」  かねて思案を巡らせていた惣一の目にとまった

 のが、家の裏山続きの雑木林に自生している名も知れない山柿だった。 北うけのその

 雑木林の柿は、よく伸びて、病気や虫にやられることもなく、毎年見事な実をつけ続けていた。

 しかし、その柿は残念なことに果実が小さく商品価値はなかった。 

 

 この地が、柿の適地である事は間違いない。 あとは、あまたある品種の中から、何を選定

 し、導入するかが事の成否をきめることになる。

  大正5年、惣一は「 富有 」を導入した。

 

  モモ・クリ3年、柿8年と言うように、結果期に入るにが遅い柿に果実を早く見るために、

 惣一は「富有」を裏山の山柿に高接ぎしてみた。

 高接ぎした柿は遅くても2年後には実がなる。

 

  高接ぎした富有の味をみて、自信をもった惣一は、部落中の傾斜地の開墾を思い立ち、

 自生樹への高接ぎとともに、開墾地への新植を進めていった。 共同で山を拓き、これを  

 部落中で分け、柿を植えた。

 

  惣一の指導で、柿が植えられてゆくと同時に栽培技術についての関心が高まり、若い

 人達が、惣一の家へ集まるようになった。 「 一心会 」の始まりである。

 

  生産された柿の販売は、商人に乗せられることが多く、一心会を中心にした共同販売の 

 必要性が認識されるようになった。

 

  山口惣一の甥で、一心会のメンバーでもある浦瀬紋冶は、昭和9年郷党の興望を担い、

 東京へ柿原の柿を売り込みに出かけた。

  三越は、浦瀬がサンプルとして持参した「柿原の富有柿」をみて、その品質が良いのに

 びっくりし、特約が結ばれた。 一個の富有を当時の20〜25銭、産地価格の10倍での

 売買が決まったのである。

 

  惣一の柿栽培の成功を聞いて、県内外からその教えを乞う視察・研修者がたえなかった。

 そうした来訪者に対応するため、惣一は柿園の中に研修所を建てた。

 「 養老庵 」である。

 

  惣一は、技術や経営について、後進の指導に熱心に取り組み、新しい柿園を開墾したり、

 経営を拡大する人には惜しみなく資金の援助もした。

 また、郷土の子供達や小学校の生徒に自宅を開放して、塾のようなこともやり、向学心を

 植え付けるため、文房具などの褒章などもおこなった。

 

  その建物は今に残り、惣一の心意気が伝わってくるようである。 養老庵の天井には、

 あまたの表彰状があり、永年の業績をうかがい知ることができる。 

 

  昭和22年、戦時中に荒廃した果樹園の復興と全国消費者の果実についての認識を

 高めるために、日本園芸農業協同組合連合会は、東京日本橋の三越デパートを会場

 にして、果実展示品評会を開催した。 この品評会は昭和33年まで続くが、この間愛媛

 の富有柿は、一等・優等への入賞が18点にも及んでいる。

  中でも、柿原の「富有」は、昭和31年と33年に全国最高の優等賞・農林水産大臣賞を

 受賞した。  これによって 宇和島市 柿原の名が全国的に周知され、名声は不動のものと

 なったのである。

 

エピローグ

  念願だった富有の産地化を成功させ、郷土の発展につくした、山口惣一の功績をたた

 えて、昭和35年記念碑が建立された。

         顕彰碑文               昭和35年10月建立

                              宇和青果  柿原支部

 

      山口惣一氏は明治13年3月27日、柿原に生る。 夙に篤農家として名あり、

     大正五年、養蚕業に代る産業として柿の試作に成功し園芸界に先鞭を着く。 

     爾来卿党のために鋭意その品質改良と技術の指導に当たり、斯業隆昌今や

     地方の特産として柿原柿の名声全国に洽きは氏の功績に因るもの多し、

     氏尚健在、有志相計り茲に碑を建ててその労を謝しその徳を称ふ。

                                       高畠 亀太郎 撰並書

 

  昭和39年8月21日、惣一は85歳の天寿を全うした。

 


山口惣一 夫婦


次郎柿


富有柿


渋柿(品種:愛宕)

 

宇和島特産 柿  

  

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